【完全解説】よくわかる「レベルファイブ」創業の歴史 1988~2024

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【ゲーム会社史】そのゲームを作ったのはというyoutubeチャンネル様に、【完全解説】よくわかる「レベルファイブ」創業の歴史 1988~2024という動画の台本を提供しました。

この記事は、その台本の ( 初稿の ) ベタ貼り記事です。文字情報でザザっと追いたい方用です。

実際の動画では投稿主様の方で一部内容修正されているので、動画にはない情報も含みます。補完関係になっているので、流し読みでも構わないのでご覧いただけたらと思います。

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はじまり

みなさんは『妖怪ウォッチ』を覚えているでしょうか。アニメのED『ようかい体操第一』が紅白歌合戦を盛り上げたのが2014年。あの社会現象から、もうすぐ丸10年が経とうとしています。アニメ・ゲーム・マンガ・オモチャと多方面に展開されていた妖怪ウォッチですが、これらは全て『レベルファイブ』というゲーム会社による企画でした。当時のレベルファイブは『レイトン教授シリーズ』や『イナズマイレブンシリーズ』なども積極展開していて、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていたのですが、その後一気に失速してしまいます。いったい何があったのでしょうか。この動画では、レベルファイブというゲーム会社の隆盛と、その後の苦戦について徹底解説いたします。

レベルファイブは1998年に日野晃博(ひのあきひろ)氏によって設立された会社です。創立以来25年以上もの間、社長は一貫して日野氏が務めています。そんな日野氏は、1968年にかつて炭鉱で栄えた福岡県・大牟田(おおむた)市に生まれました。両親が共働きだったこともあって主に祖母に育てられた日野氏は、木に登ったり魚釣りをしたり、昔ながらの育ち方をしたと言います。日野氏によると、人に迷惑をかけなければ基本何でも甘い祖母だったそうで、周りの子よりもお小遣いは多かったと言います。そのお小遣いで買っていたのがコンピューター雑誌。小学三年生でAppleⅡに憧れ、六年生の頃にはお年玉貯金を放出してNECのPC-6001を購入しました(AppleⅡには手が届きませんでした)。念願のPCを手に入れた日野少年はPCゲームに夢中になり、『ウィザードリィ』や『ザ・ブラック・オニキス』といった古典RPGにハマったそうです。一方で自作のプログラミングも趣味となり、当時エニックスが開催していたソフトウェアコンテストへの応募も考えていたと言います。後にドラクエを生み出す堀井雄二氏がコンテストで入賞したのもこの頃で、日野氏は当時から堀井氏に憧れていたそう。

日野氏が通っていた高校は進学校でした。周りが無条件に大学受験を目指す中、日野氏はそういう気分になれず、自分の好きなことをちゃんとやろうと決意します。自分で創意工夫しながら問題解決するのが楽しい気質と自己分析していた日野氏は、プログラマーを目指し、より深いスキルを身に着けようとコンピューターの専門学校へ進学。目的意識をもって一生懸命勉強に励みます。その一方で趣味のゲームは続けていたそうで、卒業が近づいてきた1988年に、日野氏にとっての転機が訪れます。社会現象にもなった、『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』です。それまでグラフィックに優れたPCゲームを好み、家庭用ゲーム機にあまり触れてこなかった日野氏でしたが、ドラクエⅢのシナリオ・音楽を含む総合演出によって「脳天に打撃を受けた」、「まるで卒業式みたいな感動を味わった」そうです。それまではゲーム機に対して、いちデジタル機器としての魅力しか感じていませんでしたが、その可能性を大いに見直したと言います。

数年前、周りがみな大学進学するなか専門学校へ進学した日野氏は、今度は周りがみなSEを目指すなかゲーム会社への就職を目指しました。場所なんか関係ない、毎日プログラムを組んでいられれば幸せ、と地元福岡のゲーム会社・システムソフトに入社します。40名ほどの志望者のうち合格はたった3名だったと言いますから、日野氏は相当高い評価で入社したものと思われます。日野氏自身も、入社時点でプログラミングの技術には自信を持っていました。しかし入社間もなく、自分では到底及ばないハイレベルな技術を持つ先輩たちに日野氏は圧倒されます。本に書いてあることだけではダメだ、現場はすごい、もっと勉強して本当のプロになる!と意気込みを新たにしたそうですが、その後まもなくプロジェクト管理部門への配属が決まります。プログラミングと全く関係の無い部署でした。当時を振り返る日野氏によると、配属先はプロデューサーを育てる重要な部署で今ならやりがいも分かるそうですが、当時の日野氏にとってはプログラミングをできないというのはとても耐えられず。悩んだ末、たった4ヵ月で1社目・システムソフトを退社してしまいます。

続く2社目は、これまた福岡のゲーム会社・リバーヒルソフト。こちらでは希望通りプログラマーとして活躍できたようで、初めての仕事は『J.B.ハロルド3 D.C.コネクション』というアドベンチャーゲームのPC-8801向け移植だったと言います。その後、『BURAI』という当時の話題作を含む10作品ほどに参加し、長い下積み時代を過ごしました。この頃の日野氏は目の前の仕事に全力投球しつつも、海外で流行り始めていた3Dゲームが気になって仕方がなかったそう。これから3Dの時代が来ると確信した日野氏は、社長に3Dの研究をさせてほしいと直談判して3D研究の1人部署を勝ち取ります。やがて社内で唯一の3Dエキスパートに成長するのですが、ちょうどその頃に3D描画に優れたプレイステーションがヒット。読み通り3Dの時代がやってくると、『OverBlood』という新規IP・3Dアクションアドベンチャーシリーズのディレクター・メインプログラマーに抜擢されました。ここで確かな手ごたえを感じた日野氏は、これからは上から言われたものを作るのではなく、自分の好きなRPGを作りたい、と10年ほど勤めたリバーヒルソフトを退社し、独立することを考えます。

とはいえ特別なツテがあったわけではなかった日野氏。プレステを作ったソニー・コンピューター・エンターテインメント(SCE|現SIE:ソニー・インタラクティブ・エンターテインメント)が『ゲームやろうぜ!』という企画で自社ハード向けクリエイターを公募していると知り、これにエントリーすることを考えました。そこで知り合ったのが当時のSCE副社長・佐藤明(さとうあきら)氏。日野氏はSCEという大きな後ろ盾の下で好きなゲームを作ろうと考えていたわけですが、企画(ゲームやろうぜ!)が終わりかけの時期だったこともあってか話はまとまらず、「会社を作ったら話を聞きますよ」と佐藤氏に言われてしまいます。これは覚悟を問われていると受け取った日野氏は、一念発起しSCEに頼らず自力で会社を設立します。その会社こそが、『レベルファイブ』でした。会社設立後に改めて佐藤氏に面会し、再度SCE傘下になることを申し出た日野氏でしたが、佐藤氏はこれを断り、タイトル単位の出資はするから自分たちの会社で頑張りなさい、と助言したそうです。後に任天堂ハードで大ヒット作を生み出すことになるレベルファイブですから、この佐藤氏の助言はとてつもなく大きかったと日野氏は当時を振り返っています。

レベルファイブ設立~パブリッシング事業進出

『レベルファイブ』という社名の由来は、「5つ星」・通信簿の「5」、つまりは最高品質のソフトを作るという志、だと日野氏は語っています。本社は地元福岡。創業メンバーは9名。その中にはリバーヒルソフト時代の同僚もいたと言います。

1998年に創業したレベルファイブにとって、初めての作品となったのは2000年発売の『ダーククラウド』でした。パブリッシャーはSCE。会社設立時にSCEが約束した通り、この頃のレベルファイブはSCEからの出資を受けながらゲームを開発していました。この年のPS2はまだ1年目で、ソフトのラインナップがまだまだ弱い時期でしたが、『ダーククラウド』は貴重なRPGタイトルとして国内10万本の小ヒットとなります。その後の海外展開時には多くの改善を施し、作品としてクオリティアップしたこともあって、100万本以上のセールスを記録します。幸先の良いスタートでした。

その後2006年にかけて、ダーククラウドの続編『ダーククロニクル』など4本のソフトをリリースします。4作中の3作はSCEパブリッシングのタイトルでして、SCEとの強固なパートナーシップが伺えます。ちなみに、大そうな宣伝をしたのにお粗末なゲームデザインで物議をかもした『ローグギャラクシー』もこの頃のタイトルです。しかし、当時のレベルファイブを語るうえで最も重要な作品は、なんといってもスクウェア・エニックスの『ドラゴンクエストⅧ 空と海と大地と呪われし姫君』でしょう。SCE以外の会社との仕事は初めてでした。

当時のドラクエはシリーズの転換期にありました。ドラクエⅧはエニックスとスクウェア合併してスクエニになってから初めてのドラクエ。であると同時に、Ⅶから大幅に進化した初の本格3D作品。Ⅶ以前はチュンソフトに開発を委託する構図が続いていましたが、合併を機に自社開発になるかもとファンの間では注目されていました。しかし合併直後とあってまだ社内連携が弱かったのか、結局従来通り旧エニックス主導による外注体制となりました。しかし変化もありました。ドラクエの開発スタッフが『ダーククラウド』のファンだったことがきっかけとなって、ドラクエⅧの開発委託先を決めるためのコンペにレベルファイブも参加することになったのです。日野氏にとってはゲーム業界を志すきっかけになったドラクエを作る大チャンス。この話が舞い込んできたのは2001年の年末で、ちょうどスタッフは休暇に入るところでしたが、日野氏は社員をなんとか説得し2週間余りでプロトタイプを制作しました。そうして臨んだコンペ本番。鳥山明(とりやまあきら)氏の絵がそのまま動いているレベルファイブのプロトに堀井氏はいたく感動し、創立から3年しか経っていないレベルファイブの大抜擢が決まったのでした。

ドラクエⅧの受注が決まってからは、まさに社運をかけた一大プロジェクトに全力投球の日々が続きました。受注時は30人ほどだった社員数は、開発終盤には100人を超えたと言います。ユーザーの期待の大きいビッグタイトルではありましたが、日野氏のドラクエへの思い入れが開発陣にも浸透したのか、シリーズファンも納得の高クオリティに仕上がりました。クオリティもさることながら、当初予定した納期を守れたことも、ドラクエ史にとっては重要でした。それまでのナンバリング作は必ず発売延期を起こしており、ドラクエⅧは開発遅延無く発売にこぎつけられた初めてのタイトルとしても評価されました。この後語ることになりますが、昨今のレベルファイブは発売延期を繰り返しており非常に大きな信用問題を引き起こしています。今の惨状を知る我々からすると、レベルファイブの開発スピードが評価されたというこのエピソードは意外に思えます。ちなみにレベルファイブは後にドラクエⅨも受注することになるのですが、こちらに関しては度重なる発売日延期を引き起こすことになります(また後ほど触れます)。

さてドラクエⅧの開発を終えて一つ大きな目標を達成した気持ちになった日野氏は、次の挑戦としてパブリッシング事業への進出を考えました。それまでのレベルファイブはゲームのデベロッパー専任の会社。パブリッシャーからの出資を受けて、そのお金で面白いゲームを開発するのが仕事でした。言ってみれば、ゲームのクオリティに全集中する役割です。ではパブリッシャーの仕事は何かと言うと、ゲームの企画、デベロッパーの選定・出資、開発進捗の管理、新作ゲームの宣伝・販売・流通、と非常に多岐にわたります。言ってみれば、ゲーム開発以外は全てパブリッシャーの仕事なわけです。もし渾身の新作が売れなかった場合、パブリッシャーはデベロッパー以上に痛手を負うわけで、言ってみればハイリスク・ハイリターンな事業だと言えます。日本のゲーム会社でパブリッシング事業を展開しているのは、これまでレベルファイブが世話になってきたソニーやスクエニなど限られた会社のみです。そこに割って入ろうという野心を日野氏は抱いたわけです。

しかし2006年当時のレベルファイブは売り出し中とはいえ、まだ創業してから8年しか経っていない新興のゲーム会社。潤沢な資金があるわけでもなく、何とか工夫してローリスク・ハイリターンを実現できないか画策します。そうして企画されたのがニンテンドーDS向けソフト『レイトン教授と不思議な町』でした。それまでプレステという据置機向けタイトルしか開発してこなかったレベルファイブでしたが、それはこれまでデベロッパー専任だったからできたこと。開発コストがかさみがちな据置機向けのタイトルにいきなり挑戦するのはリスクが高すぎると、日野氏は冷静に自社の資金繰りを見つめて対応ハードを決定しました。

この日野氏の決断は思い切ったものでした。というのも当時のゲーム業界は、売れに売れたPS2の後継機・PS3の発売が目前に迫っており、そちらに注目が集まっていました。DSはと言うと『脳を鍛える大人のDSトレーニング』といった普段ゲームをしない層向けのヒットタイトルはあったものの、そのほとんどが任天堂タイトルばかりで、レベルファイブのようなサードパーティーがDS市場に割って入るのは難しいとされていました。しかし、ここで再び日野氏の工夫が光ります。普段ゲームをしない層がDSを持ったなら、その人たちに売れるゲームを出せばよいと考えたのです。そうして企画されたのが「ナゾトキ×ストーリー」というキャッチコピーの『レイトン教授と不思議な町』。普段ゲームを遊ばない層にアプローチするためのゲームデザインが徹底されており、ゲームの肝となった謎解きパートは『頭の体操』というパズル書籍の作者、心理学が専門の多湖輝(たごあきら)先生に監修をお願いしました(ちなみに日野氏は多湖先生の大ファンだったそう)。また、次の目的地を画面上に常に表示するという、当時のゲームデザインとしては親切すぎる仕様。さらには大泉洋(おおいずみよう)氏・堀北真希(ほりきたまき)氏といった有名人の声優起用、そしてその声優陣へのインタビューをパッケージの背表紙に載せるという女性誌の誌面をマネたデザイン。こうしたゲームらしくない打ち手が功を奏し、狙い通りのヒットとなりました。ちなみに日野氏は昔からファンだったドラクエ・多湖先生と一緒に仕事することに成功したわけですが、後にジブリともコラボして『二ノ国』というゲームも作ることになります。ナンバリング2作目まで続くヒット作になりました。日野氏は理想のブランディングにジブリスタジオを挙げていて、ジブリの映画だからとりあえず観るというファンが大勢いるように、レベルファイブのゲームだからとりあえず買うというファンを大勢作りたいと語っています。

クロスメディアプロジェクトの成功~『妖怪ウォッチ』の社会現象

ここまで概ね順風満帆のレベルファイブですが、この頃から日野社長が調子に乗り始めます。その調子乗りが良い方向に作用して大ヒットを飛ばすこともあれば、悪い方向に作用して信用を失うこともありました。

レイトン教授を狙い通りヒットさせた日野氏は、マンガ・ゲーム・アニメが連動したクロスメディアプロジェクトとして少年サッカー×RPGを題材とした『イナズマイレブン』を企画します。このクロスメディアプロジェクトは今後レベルファイブの十八番になっていくわけですが、この手法は多方面での作品展開になるため多大な予算が必要です。ローリスクを取ってレイトン教授をヒットさせた日野氏なのに、一転して大そう強気に見えます。いえ、これは強気などではなく、まさに調子乗りでした(後年に日野氏自身が反省しています)。失敗すれば会社が傾く、実はかなりハイリスクな企画だったのですが、2008年より展開されたイナイレプロジェクトは無事成功し、会社を更に飛躍させました。成功の要因はいくつかありましたが、やはり大きかったのは日野氏の戦略。ターゲットの子どもにとってゲームは高価なので、それを買ってもらうにはお小遣いで楽しめるマンガと、タダで楽しめるアニメで先に作品のファンになってもらう必要があると考えました。そうなると俄然マンガとアニメのクオリティが問われるわけですが、イナイレのマンガは非常に評価が高いです。小学館のコロコロコミック連載でしたが、小学館漫画賞だけでなく、ライバル社主催の講談社漫画賞まで受賞しています。またアニメの方もシリーズ初期は特に評価が高く(後期は賛否が分かれています)、こうしたゲーム以外のメディアのクオリティにも恵まれてヒットにつながりました。

そんなイナイレの最大の反省点は、オモチャ方面での展開が弱かったこと。その反省に対するアンサーとして、2011年より『ダンボール戦記』がクロスメディアプロジェクト第2弾として展開されました。プラモデルを戦わせるロボットモノです。しかしこのプロジェクトも不十分なところがあって、狙い通りオモチャはヒットさせられたものの、本命のゲームソフトがあまり売れませんでした。イナイレは2024年現在もIPとしては生きていますが、ダンボール戦記はその後休止状態になってしまっており、課題が残りました。

立て続けにクロスメディアプロジェクトを仕掛けてきたレベルファイブ。第1弾はオモチャ展開、第2弾はゲームソフト売上に課題が見えましたが、それら反省点を踏まえた肝煎りの第3弾プロジェクトが企画されます。このプロジェクトこそが、後に社会現象にまでなる『妖怪ウォッチ』でした。妖怪が見えるようになった小学5年生のケータが、町でトラブルを引き起こす妖怪と友達になって事件を解決していくという、ズバリ小学生をターゲットに置いた本作。2012年12月にコロコロコミックで始まったマンガ連載を皮切りに、翌2013年7月にはニンテンドー3DS向けソフト『妖怪ウォッチ』が発売。さらにその半年後の2014年1月にはTVアニメが放映開始します。ゲーム本編の初週売上は5万本とはっきり言って期待外れのスタートでしたが、アニメで人気に一気に火が点きました。ちなみに妖怪ウォッチのアニメは、放映途中の新規視聴者取込みに苦しんだイナイレアニメの反省が活かされており、ドラえもんのような一話完結型の構成を基本としました。そして作中のキーアイテム・妖怪ウォッチと、それにはめ込む多彩な種類の妖怪メダルのCMをアニメ途中にバンバン打つことで、オモチャ展開にもつなげました。極めつけはEDの『ようかい体操第一』。キャッチ―なリズムと、マネしたくなる振付けで、大いにバズりました。アニメ放映開始から半年後の2014年7月にはゲーム続編『妖怪ウォッチ2 元祖/本家』を2バージョンで展開し、そのわずか5カ月後の12月には年末商戦に合わせてマイナーチェンジ版『真打』も発売。3バージョン合わせて2014年に500万本を売上げ、ゲームソフト売上ランキングで1位に輝きました。特に『真打』は発売からわずか2週間余りで200万本を売上げたといいます。2014年は妖怪ウォッチが一気に社会現象になった年。年の暮れの紅白では司会の嵐含む出演者全員でようかい体操第一を踊っていました。

しかし残念なことに、その後妖怪ウォッチの勢いは急速にしぼんでいくことになります。レイトン教授以降、調子に乗っていた日野氏。ここまでその調子乗りが良い方向に出た話を取り上げてきましたが、ここからは調子乗りが悪い方向に出た話を取り上げていきます。

レベルファイブ急減速

レイトン教授でパブリッシング事業に進出したレベルファイブですが、SCE・スクエニとの関係はその後もしばらくは続いていました。しかし、2008年にSCEより発売された『白騎士物語 -古の鼓動-』、2009年にスクエニより発売された『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』の両作品を最後に、両社との関係は途絶えてしまっています。白騎士物語に関してはボリューム不足が指摘されました。1年後に追加コンテンツ込みの完全版、さらに1年後には続編『白騎士物語 -光と闇の覚醒-』が発売されましたが、この続編には前作『古の鼓動』も再録されていました。つまり、2008年から3年連続で『古の鼓動』が発売された構図です。ドラクエⅨの方は度重なる発売延期により、当初予定から約2年遅れての発売となりました。すれちがい通信という今までにないシステムの技術的な難しさがあったにしても、最終的にはスクエニ側の役員報酬減額という大事に至ってしまいました。この白騎士物語・ドラクエⅨの頃のレベルファイブはイナイレにもリソースを割いており、さらにはダンボール戦記の企画も走り始めていた頃で、仕事の手を広げすぎていた感は否めません。日野氏の調子乗りが悪い方向に出たエピソードだと言えるでしょう。ちなみにイナイレ・ダンボール戦記も発売延期しています。これはもうドミノ倒し状態です。

ドラクエのような他社IPを任された場合、何が何でも成功させないと信用を落としてしまいます。2011年に放映開始されたTVアニメ『機動戦士ガンダムAGE』は、日野氏の信用を大きく落とすきっかけになってしまいました。丸一年・4クールアニメのシナリオを任された日野氏は、ドラクエⅤのような親子三世代にまたがる大河展開のプロットを切ったのですが、特に1クール目・1世代目のシナリオが面白くなく、スタートダッシュに失敗してしまいます。その後多少シナリオは持ち直すのですが、本作に期待して裏切られた視聴者たちはとうとう戻ってこず。アニメ放映中に発売されたレベルファイブ製のゲームも当然売れず。「強いられているんだ!」という面白シーンがネットミーム化したのですが、おそらくガンダムAGEで一番盛り上がったのはこのシーンでした。

インターネットミームつながりで言うと、イナイレの人気投票企画に触れないわけにはいきません。2010年の映画『劇場版イナズマイレブン 最強軍団オーガ襲来』の公開に合わせて、投票期間1カ月の人気投票が企画されました。ネット投票が可能ということで、作品の元々のファンを困惑させたいといういたずら心で某掲示板の住人が結束。五条勝(ごじょうまさる)というモブキャラへの投票を呼びかけました。過去には別作品でも同様の動きがあったのですが、その際はツールを使用したせいで投票が無効になったという反省により、今回は真面目に「一日一条、五日で五条」を合言葉にコツコツ五条へ投票。結果ブッチ切りで1位を獲得。この悪ふざけのムーブメントは一部からは忌避を招いたものの、案外既存ファンもレベルファイブも好意的で、一緒になって面白がっていた節がありました。作品知名度の向上につながりました。

レベルファイブの失敗エピソードに戻ります。これまで度々レベルファイブの発売延期癖について触れてきましたが、その中でも一番ひどい発売延期が『イナズマイレブン 英雄たちのヴィクトリーロード』です。元々『イナズマイレブン アレスの天秤』というタイトルで2016年に発表されたタイトルなのですが、その後2回の改題を経て2024年現在未だに発売されていません。2024年9月のレベルファイブ主催の新作発表会にて2025年6月の発売が発表され、今度こそ発売日の遵守を期待されています。ちなみに旧タイトル『アレスの天秤』はアニメ化されています。本来はアニメに合わせてゲームも発売する予定だったのですが、ゲームの延期によってアニメだけが先行してしまう事態となりました。その後、放送終了までにゲームは出せず終いというチグハグさで、イナイレのアニメ展開は終了してしまいました。

この悪い流れは、社会現象にまでなった妖怪ウォッチにまで波及してしまいます。一時ポケモンをしのぐほどの勢いを誇っていた本作は、まさに金の卵のIPでした。将来に渡ってポケモンとしのぎを削るライバル関係になって欲しいと期待していたファンも多いと思います。しかしこのファンたちの夢も、飽き性・手を広げすぎの日野氏によって霧散してしまいます。

2024年現在までサービスが続くスマホ向けパズルゲーム『妖怪ウォッチ ぷにぷに』が2015年に、ナンバリング続編『妖怪ウォッチ3』が2016年にリリースされ、この頃までは2014年の社会現象の勢いをそれなりに維持していた妖怪ウォッチ。しかし、2017年に公開された映画あたりから雲行きが怪しくなっていきます。「新生妖怪ウォッチ 始動」と銘打たれて公開されたアートワークが不評で、シャドウサイドという今までと打って変わって不気味な妖怪の画は「否」が多めの賛否を巻き起こしました。そして『妖怪ウォッチ4』の3度にわたる発売延期。2019年にようやく発売されますが、この頃には完全にブームは下火になっていました。世間に国民的アニメ・ゲームとして認められるためには、そのIPが社会に完全に根付くまでファンの熱を維持する必要があります。しかし日野氏は、このIP育成のフェーズがとにかく苦手です。新しいIPを生み出す力は誰しもが認めるところでしょうが…。

その後はクロスメディアプロジェクトの第4弾・第5弾として『スナックワールド』と『メガトン級ムサシ』を発表・展開していますがやはり発売延期を起こしています。メガトン級ムサシに至っては、かつて白騎士物語で見せたようなボリューム不足からの完全版ムーブを再発しており、日野氏・レベルファイブが抱える本質的な課題は依然未解決のように見えます。

最近の日野氏のインタビューでは、クロスメディア展開でアニメ放映日に合わせて無理やり低クオリティのゲームをリリースしてしまっていた過去を反省していて、今後はゲームのクオリティに妥協せずこだわる、と述べています。その姿勢自体は正しいのでしょうが、ゲームのクオリティにこだわるほどやはり発売遅延を招きがちでしょう。最近の作品で言うと『デカポリス』というNintendo Switch向けの新規IPタイトルは、当初2023年の発売予定でしたが、その後2026年発売予定に延期されました。2024年現在の開発中タイトルは『デカポリス』や『イナズマイレブン 英雄たちのヴィクトリーロード』など7作品。従業員数300人という所帯の会社にしては、やはり抱え込みすぎ、あるいは発表が早すぎるかと思います。会社経営上、新作発表が大事と言うのは理解しますが、もう少し現実味のあるロードマップを描いて開発体制を仕切り直さないことには、現場は無理な目標に疲弊して悪循環が続くと思われます。

参考文献

興味ある方は折りたたみを展開ください。

https://www.inside-games.jp/article/2016/11/01/103092.html

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https://www.youtube.com/watch?v=QLWcZUiDe7s&t=0s&ab_channel=TheCowtelevision

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https://note.com/legit_dunlin5594/n/nc9dd80707d14?magazine_key=m633fcc260300

https://note.com/legit_dunlin5594/n/n16fe03ee564b?magazine_key=m633fcc260300

https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/%E3%80%90%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%96%E3%80%91

https://game.watch.impress.co.jp/docs/20050111/dea.htm

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http://www.gamegyokai.com/history/square-enix.htm

http://gametabloid.blog.fc2.com/blog-entry-2102.html

https://www.nintendo.co.jp/3ds/interview/creators/vol1/index4.html

https://jp.mercari.com/item/m28276160722

https://www.youtube.com/watch?v=upInYcmu0Us&ab_channel=TheCowtelevision

https://corocoro-news.jp/news/86014/2/

https://japan.cnet.com/article/35096301

https://teamwork.cybozu.co.jp/blog/youkai-watch.html

https://www.famitsu.com/news/201404/21051460.html

https://www.oricon.co.jp/news/2037087/full/https://teitengame.com/2014_01.html

https://kodomobeyaozisan.blog.jp/archives/7509147.html

https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1648606764&p=2

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