【ゲーム会社史】そのゲというyoutubeチャンネル様に、【完全解説】よくわかる「モンハン」激動の20年史 1999~2025【保存版】という動画の台本を提供しました。
この記事は、その台本の ( 初稿の ) ベタ貼り記事です。文字情報でザザっと追いたい方用です。
実際の動画では投稿主様の方で一部内容修正されているので、動画にはない情報も含みます。補完関係になっているので、流し読みでも構わないのでご覧いただけたらと思います。
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企画~初代モンスターハンター発売

2004年3月に1作目が発売されたモンスターハンターシリーズは、昨年2024年3月に20周年を迎えました。メモリアルイヤーということで歴代人気モンスター総選挙など様々な企画が催される中、5月にはシリーズ累計の売上本数が1億本を超えたという景気の良いニュースも舞い込みました。この『20周年』・『1億本』という数字には、これまでモンハンシリーズが歩んできた長い歴史が詰まっています。今では大人気タイトルとして広く知られているモンハンですが、実はその道のりは平坦ではありませんでした。本動画では、初代モンハンから最新作『モンスターハンターワイルズ』に至るまでの歴史を徹底解説したいと思います。早速内容に入っていきましょう。
初代『モンスターハンター』は、2004年3月にPS2向けソフトとしてカプコンよりリリースされました。本作は開発期間4年という難産のタイトルだったらしく、企画自体は2000年頃に開始したとされています。まずはその当時のカプコンが置かれていた状況を知ることで、モンハン誕生の背景に迫っていきます。
モンハン企画が開始する前の10年間、すなわち1990年代のカプコンは非常に浮き沈みの激しい経営状態でした。1991年に『ストリートファイターⅡ』という大ヒット作を当てたことで会社は急拡大しましたが、90年代半ばに入って格ゲーブームがひと段落してしまうと売上は急降下。一転してピンチに陥ってしまいましたが、今度は『バイオハザード』(1996年)が予想外にヒット。新人主体のチームによる開発だったため当初は期待されていなかったタイトルでしたが、続く『2』(1998年)・『3』(1999年)も好調なセールスを記録したことで、経営は無事回復していきました。しかしバイオに続くタイトルはなかなか産み出せず、カプコンは次のヒット作を模索していました。そうした流れの中で目を付けたのが、オンラインゲームというジャンル。2000年当時に世間でリリースされていたオンラインゲームはパソコン向けタイトルばかりで、家庭用ゲーム機向けタイトルはほとんど存在していませんでした。しかしいずれ訪れる通信技術の進化により、オンラインゲーム市場は今後急拡大していくとカプコンは先読みしていました。
そうした会社方針もあって、3本のオンラインゲームが同時に企画されました。1本目は『アウトモデリスタ』というカートゥーン調のグラフィックが特徴のレースゲーム。2本目は『バイオハザード アウトブレイク』というバイオ外伝作品(2・3の舞台となったラクーンシティを生き抜く一般市民たちのサバイバルゲーム)。そして3本目が、後にモンスターハンターと名付けられる「巨大なモンスターを倒すゲーム」でした。この3本の共通点は、いずれもアクションゲームであること(レースアクション・サバイバルアクション・ハンティングアクション)。アクションゲームが得意なカプコンだから当然ではと思ってしまうかもしれませんが、一瞬のラグが命取りとなるアクションジャンルのオンラインゲーム開発は非常に難しいとされています。実際当時のオンラインゲーム市場を席巻していたのは、『Diablo』(1996年)や『Ultima Online』(1997年)といったRPG作品でした(ただしDiabloはアクション要素も含む)。そうした状況の中であえてアクションに挑むというのは、カプコンの社風でもあるチャレンジ精神がよく表れた判断でした。
このようにして企画がスタートしたモンスターハンター。その開発には4年もかかりましたが、先ほども述べた技術的なハードルだけでなく、ゲームデザイン固めにも相当苦労したといいます。企画当初のコンセプトアート上では、魔法が存在していたり、敵がクラーケン(巨大イカ)だったり、今のモンハンとは似つかわない西洋風な世界観が描かれていました。しかし「巨大な武器で巨大なモンスターを倒す」というゲームコンセプトに集中するため、魔法といった複雑な要素は削られていきました。こうして出来上がったシンプルなゲーム性は、初めてモンハンを遊ぶプレイヤーにとっての敷居の低さにつながりました。
そしてこの「間口の広いゲームを目指す」という方針は、ゲームの世界観構築だけでなく、オンラインゲームとしてのゲームデザインにも強く影響しました。モンハンはプレイヤー同士で戦うPvP(プレイヤー対プレイヤー)のゲームではなく、プレイヤー同士で協力するPvE(プレイヤー対環境)のゲームです。モンハンが登場するまでのPvEゲームでは、チーム内で活躍したプレイヤーほど高い報酬を得られるという貢献度システムが一般的でした。しかしモンハンチームはより間口の広いゲームを目指し、この貢献度システムをあえて撤廃。例えば仲間同士でのモンスター討伐クエストの際に、その中の一人が戦闘に参加せずに釣りだけをしていても、あるいはひたすら肉だけを焼いていても、もらえる報酬は同じ、というシステムにしたわけです。仲間の了解さえとれていれば何をしていても構わないというこの自由度の高さは、良い意味でユルい雰囲気につながり、それまでオンラインゲームを敬遠していたライト層の取り込みにつながりました。
ちなみに、こうしたプレイヤー心理負担の軽減策にはシリーズを通して常にこだわっていると開発陣は語っています。例えばモンスターとの戦闘時に生じる「部位破壊システム」では敵の尻尾が切れたり、角が折れたりしますが、決して手足といった生々しい箇所は切れないといった配慮がなされているそうです。プレイヤーができるだけ嫌な気持ちにならないように、しかし同時にゲーム的な面白さも追及して今の形になったといいます。このように開発陣は「誰もが遊べる・遊びたいと思う間口の広さ」を何よりも重視しており、その姿勢はシリーズを通して一貫しています。
話を初代モンスターハンター開発に戻します。ここまでに世界観とオンライン仕様についてはある程度固まっていましたが、肝心のゲーム部分に関しては2003年頃(発売1年前)に至っても固めきれずにいたといいます。そうした状況にあって積極的なアイデアマンだった一人のグラフィックデザイナーが、ゲーム全体の開発を指揮するディレクター職に抜擢されます。その人物は、当時カプコンに入社して10年ほどだった藤岡要(ふじおかかなめ)氏。藤岡氏は2025年現在の最新作であるワイルズにもエグゼクティブ・ディレクターとして関わっている、モンハンシリーズにおける最重要人物の一人です。藤岡氏がディレクターに就いてからはゲームの遊ばせ方の検討が一気に加速したらしく、拠点を中心としたクエスト受注型のゲームシステム、クエスト報酬で武器・防具を強化して更に強いモンスターに挑んでいくゲームサイクルは藤岡D就任後の8カ月の間に固まったようです。
開発陣のこだわりが詰まった初代モンスターハンターは、2004年3月にPS2向けにリリースされました。しかしその売上は30万本と、後の爆発的な売上と比べるとおとなしい数字に留まりました。苦戦の原因はオンライン環境構築のハードルの高さにあったとされています。当時のPS2をオンラインにつなげるためにはKDDIが提供していたサービス『マルチマッチングBB』(読み方分からず。。BBはおそらくブロードバンドを指すが、単に「ビービー」読みで問題ない?)を契約する必要がありました。2001年に開始した前身サービスである『マルチマッチング』が従量課金型の料金体系であったのに対し、2003年にリニューアルされた本サービスでは料金体系が月額定額制に変わりました。発表会ではサービス元のKDDIに混ざって、カプコンの役員もパートナーの立場で登壇するほど肝いりのサービスだったのですが、目標契約数は達成できなかったとされています。その原因は、料金の高さもさることながら、それ以上にネットワーク設定の煩雑さがハードルとなったようです。結果として、初代モンハンはネットリテラシーが高かった一部のコアゲーマーにしかリーチできず、開発陣が目指していた真に間口の広いゲームにはなれませんでした。しかし開発陣は面白いゲームが出来上がったという手ごたえを感じていたそうで、発売直後にはプライベートでオンラインに潜っては、匿名で一般ユーザーにゲームレクチャーをするなどしてモンハンの面白さをアピールしたといいます。モンハンシリーズではベテランハンターが初心者にレクチャーするという光景が必ず見られますが、実はその構図は初代発売直後から存在していたようです。
G級誕生~MHP2Gの爆発的ヒット

初代モンハンの発売からわずか10カ月後の2005年1月には、アップグレード版である『モンスターハンターG』(MHG)がリリースされました。本作は元々市場の熱を維持するための廉価版として企画されていたそうですが、初代モンハンの北米ローカライズ版の新要素として開発していた新武器種・双剣を盛り込みたいという話になり、そこから話が膨らんでアップグレード版の企画に変わっていったそうです。ともすれば完全版商法とも揶揄されかねない決断でしたが、前作を遊んだユーザーからのフィードバックを受けて様々な調整・追加要素を盛り込んだ本作はポジティブに受け止められました。とはいえ売上は前作と変わらず30万本程度。一定の成功は収めましたが、シリーズの起爆剤にはなりえませんでした。
しかし、シリーズの転機はそのすぐ後にやってきました。MHG発売から11カ月後、2005年12月にリリースされたMHGのPSP向けリメイク『モンスターハンター ポータブル』(MHP)は、シリーズで初めてミリオンセラー(130万本)となりました。対応ハードであるPSPは、本作リリースのちょうど1年前の2004年12月にソニーが市場投下したばかりの新しい携帯ゲーム機。ローカル通信機能を備えていたため、初代MH・MHGのような課金・複雑な通信設定をせずとも仲間内で気軽にオンラインプレイを楽しむことができました。まさに開発陣がずっと思い描いていた間口の広いゲームが結実したことで、130万本もの売上につながったと言えます。しかし本作の人気の秘訣は、オンラインゲームとしてのプレイの楽しさもさることながら、それ以上にオフラインで仲間同士集まってワイワイ遊ぶというコミュニケーションの楽しさにこそありました。実はこの楽しさに最初に気づいたのは、初代MH・MHG開発時のテスターたちでした。一つの会議室に集まって、4台のPS2とテレビを用意してオンラインプレイのテストをしていたそうですが、オンラインゲームをあえてオフライン空間でやることで生まれるワイワイとした楽しさに気づいたそうです。なんとかこの楽しさをユーザーにも届けられないかと考えていた折にPSPが発売され、コレだ!となったそうです。その他にも、携帯ゲーム機らしくスキマ時間でも遊べる要素として考案された「農場」(武器素材などが集められる)や、後に人気キャラとして定着していったアイルーなどが新たに登場しました。さらには、操作方法にも大きな変更が加えられました。初代MH・MHGではPS2コントローラーの右スティックを用いた攻撃操作であったところ、本作では右スティックがないPSPに合わせてボタン操作による攻撃に変更。必要に迫られての仕様変更ではありましたが、ユーザーの受け止めが好意的だったことから、以降の据置機タイトルにおいてもボタン攻撃が採用されるようになりました。ちなみに大成功となった本作のディレクターは藤岡氏ではなく、一瀬泰範(いちのせやすのり)氏。以降、ナンバリング作は藤岡Dのチーム、ポータブルシリーズは一瀬Dのチームが開発するという体制が定着していきました。
藤岡Dのチームの方は、ナンバリング作であるPS2向けソフト『モンスターハンター2』(MH2|2は「ドス」と読む)を2006年2月にリリースしました。MHPからわずか2カ月後のリリースとあって、畳みかけるようなモンハン攻勢が続きました。本作では「太刀」・「狩猟笛」・「ガンランス」・「弓」という計4種の武器が追加されたほか、従来のモンスターよりも上位種(強力個体)である「古龍種」が追加され、その後のシリーズに無くてはならない数多くの新要素が登場しました。そのため、今振り返るとシリーズにとって非常に重要なタイトルだったと言えます。しかし発売当時は、賛否を呼んだタイトルでもありました。例えば現実の時間とリンクした昼夜・季節を取り入れた新システムは、決まった時間にしか遊べないプレイヤーからの評判がすこぶる悪く、残念ながら以降のシリーズ作では即撤廃されてしまいました。また、タイトな開発期間にもかかわらず色んな新要素を詰め込もうとしすぎたあまり、肝心の戦闘バランス調整がおざなりになってしまったことも手痛かったとされています。こうした不評もあってか、本作はナンバリング作で唯一Gタイトルがリリースされませんでした(アイスボーンはG級相当とカウント)。
ちなみにMH2は2007年5月にリリースされた『モンスターハンター フロンティア オンライン』(MHF)のベースにもなっています。MHFはPC向けにリリース(後にマルチプラットフォーム展開)されたMO(マルチプレイヤー・オンライン)ゲーム。カプコンは本作を、家庭用ゲーム機で展開されているメインシリーズとは異なる派生作品として扱っているのですが、それでも非常に根強いファンが支えられ12年間もサービスが続きました。残念ながら2019年にサービスは終了してしまいましたが、MHFのオリジナルモンスターである「エスピナス」が後のシリーズ作に登場するというニュースが話題をさらうなど、今なお多くのプレイヤーに痛烈な印象を残しています。
話をメインシリーズの展開に戻します。MH2の厳しいシリーズ評価を挽回したのは、MH2発売から1年後の2007年2月にリリースされた『モンスターハンターポータブル 2nd』(MHP2|一瀬Dチーム開発)でした。ポータブルシリーズの前作であるMHPがMHGリメイクとして開発されたのに対し、MHP2はMHPに続く新作として開発されました。しかしMH2との関係は浅くなく、MH2で導入された4つの新武器はいずれも採用されたほか、雪山という舞台も共通していました。その一方でMH2を反面教師にしている部分も多く、MH2で上がった不満点はことごとく改善が図られました。加えてポータブルシリーズとしての進化も抜かりなく、前作で導入された農場がボリュームアップしたほか、課題だったエリア移動時のロードも大幅に高速化してみせました。こうした施策がユーザーの好評を博し、MHP2は売上240万本を達成しました(実はジワ売れでミリオンに到達したMHPよりも先にミリオン達成)。
しかしそれを更に上回る爆発的なヒットとなったのが、翌年2008年3月にリリースされた『モンスターハンターポータブル 2ndG』(MHP2G|一瀬Dチーム開発)でした。本作はこれまでのモンハンの集大成ともいうべき力作となっていて、長く続くモンハンシリーズの中でも最高傑作と評価するプレイヤーも多いです。登場するモンスターの多さ、絶妙に調整された難易度、アイテム管理など痒い所に手が届く利便性向上など、あらゆる面で高評価を獲得しました。また、オトモアイルーを産み出したというのも本作の大きな功績。ソロプレイ時にモンスターのヘイトを買ってくれるオトモアイルーは、プレイヤーがアイテムを使用する時間を稼いでくれる頼もしすぎるバディとして定着していきました。本作はプロモーション面も巧みで、「ひと狩りいこうぜ!」というシリーズのキャッチコピーが使われるようになったのも本作からでした。このフレーズの初出はCMだったのですが、お笑い芸人たちが楽屋に集まって黙々とMHP2Gをプレイしている様子をじっと映しているだけのCMは、なんともシュールで話題をさらいました。また、CM以外にも『モンスターハンターフェスタ』というリアルイベント(初回はMHP2がリリースされた2007年)の宣伝効果も大きかったとされています。イベント限定クエストのクリア時間を競うタイムアタック競技が特に人気をさらいました。こうした話題作りと並行して、廉価版を立て続けに市場に投下する販売施策も功を奏し、最終的な売上は380万本を記録しました。「モンハン」が国民的ゲームとして認知されるようになったのは、まさに本作からでした。
MHP2とMHP2Gで大きな成功を収めたモンハンチーム。実はこの成功の裏で、新しいプロデューサーが就任していました。その人物は、今ではモンハンシリーズの顔として有名な辻本良三(つじもとりょうぞう)氏。氏は、カプコンを創業し2025年現在も会長CEOを務めている辻本憲三(つじもとけんぞう)氏の三男としても知られています(ちなみに兄の辻本春弘(つじもとはるひろ)氏は社長COO)。モンハンシリーズにはプロデューサー就任以前から関わっており、初代MHの頃はネットワーク担当のエンジニアとして活躍されていました。 この辻本新体制はMHP2Gという傑作を産み出し、国内市場におけるモンハンシリーズのプレゼンスを一気に高めました。次なる目標は、ズバリ世界市場。ここからは、モンハンシリーズがいかにグローバルタイトルへと進化していったか、その軌跡を追っていきます。
新境地のMH3~携帯機最後のMHXX

ここからは藤岡Dによるナンバリング作を続けて紹介したいと思います(一瀬Dによる作品は後ほどまとめて紹介)。
MHP2・MHP2Gのヒットの裏で、藤岡Dのチームは次のナンバリング作である『モンスターハンター3』(MH3|3は「トライ」と読む)の開発を進めていました。対応ハードはWii。当初はPS3での発売が予定されていた(初代MH・MH2はPS2ソフト)のですが、開発の難しさ(PS3はゲーム開発が難しかったとされています)からか、普及率の低さからか、はっきりした理由は不明ですが開発途中でPS3版の開発は中止となり、Wiiでの独占販売が決まりました。この判断については、WiiのSD画質ではなくPS3のHD画質でモンハンを楽しみたかったファンを中心に物議を醸しましたが、MH3は無事2009年8月(MH2から3年半後|MHP2Gからは1年半後)にリリースされました。ちなみに本作の発売前には、新しいハードの研究目的(習作目的)でMHGのWii移植版もリリースされています。
MH3はハードだけでなく、その中身もこれまでのシリーズとは全く異なる、心機一転の作品となりました。登場モンスターはシリーズの看板モンスターであるリオレウスら3体を除き、他は全部総とっかえとなりました。さらには武器種やUIも一新。新ハードということで本作が初めてのモンハンというプレイヤーも多い中、ベテランハンターにとっても新鮮な気持ちでプレイできるタイトルとなりました。中でもMH3最大の特徴は水中戦。それまでの地上重力下での戦いとはうって変わって、水中を泳ぎ回り360°ケアしながら縦横無尽に戦う新感覚のアクションが生まれました。
MH3の発売後、藤岡Dのチームは『モンスターハンター4』(MH4|4は「フォー」と読む)の開発に着手しましたが、今度はニンテンドー3DSでの発売が予定されました。再度のハード変更に伴い、また長い開発期間が必要になってしまいました。そこで企画されたのが、MH3のニンテンドー3DS版移植。Wiiでも習作としてMHGを移植しましたが、それと同じことをもう一度やろうとしたわけですね。しかし今回は単なる移植ではなく、「せっかくだから新しい拠点を作ってみよう」、「リストラしてしまった武器種を復活させよう」、「モンスターも増やそう」と、どんどん新開発要素が膨れ上がっていきました。やがて「これはもはやGなのでは」と気づいたらしく、『モンスターハンター3G』(MH3G)に改題されるに至りました。MH3GはMH3発売から2年半後の2011年12月にリリースされました。
MH3Gによって稼いだ開発期間が投じられた肝いりのMH4は、MH3Gから更に1年半以上経った2013年9月に発売されました。本作の特徴は、これまでのシリーズ作と比べて圧倒的に強化されたストーリー。複数の拠点を旅しながら、本作のメインモンスターである「ゴア・マガラ」の謎に迫る物語が展開されました。また遊びの面では、新たに「高低差」の要素が強化されました。ツタを登ってモンスターから逃げたり、高台からモンスターに飛び乗って攻撃したりといった新しい高低差アクションが生まれました(ちなみに水中戦は廃止)。なお本作は早い段階からG級の企画も立ち上がり、1年後の2014年10月には『モンスターハンター4G』(MH4G)もリリースされました。本作は藤岡Dが直接指揮した最後の作品であり、藤岡Dの集大成として4でやりきれなかった様々な調整が加えられました。なお、次のナンバリング作(後述しますがMHWのことです)では後継の徳田Dが現場指揮を務め、藤岡氏はエグゼクティブ・ディレクターとしてシリーズに関わっていくこととなります。
藤岡DのチームがMH3~MH4Gをリリースしていった裏で、一瀬Dのチームも次々に作品を開発していました。特大ヒットとなったMH2PGの続編である『モンスターハンター ポータブル3rd』(MHP3)は、前作から3年半後の2010年12月にリリースされました(藤岡D作品との発売時期比較で言うと、ちょうどMH3とMH3Gの間)。本作は高評価だった前作MHP2Gの続編ということで注目を集め、PSPソフトで最も売れたタイトル(490万本)となりました。肝心のゲームとしての評判も、MHP2Gに劣らず好評。特にパッケージを飾った「ジンオウガ」はモンスター総選挙で1位を獲得するほどの人気モンスターで、雷を操る強敵として多くのプレイヤーを苦しめました。また本作は世界観に関しても独特で、和テイストな拠点「ユクモ村」は長いシリーズにおけるアクセントとなりました。
ここから一瀬D作品はしばらく間が空くのですが、MHP3から5年(MH4Gから1年)が経った2015年11月に『モンスターハンタークロス』(MHX)をリリース。一瀬D作品としては初めての任天堂ハード(3DS)のソフトとなりました。本作のコンセプトはズバリ「お祭り感」。そのコンセプトに違わない色んな要素が詰め込まれた作品になっており、本作ではなんと4体ものメインモンスターが登場。また4つの狩猟スタイルを切り替えられる新アクションも導入され、従来延長線上で遊びたい人にとっても、新しいアクションを楽しみたい人にとっても、全員が楽しいと思える多様なプレイスタイルを提供しました。このコンセプトは1年半後の2017年3月に発売されたG級相当作『モンスターハンターダブルクロス』(MHXX)では更に強化され、新たに2体のメインモンスター、2つの狩猟スタイルが追加されました。なお本作MHXXは一瀬Dではなく市原氏がディレクターを務めました(一瀬Dは後述しますがMHRに取り掛かっていました)。
国内において爆発的なヒットとなったMHP2G。続くMH3以降は、これまで以上に海外ローカライズとプロモーションを強化し、徐々に海外売上比率は増していきました。しかし、MH4Gに至っても国内・海外の売上比率は半々にしかならなかったと言います。海外ゲーム市場は日本と比べて圧倒的に大きいため、むしろ海外偏重の売上比率にならないと真のグローバルタイトルとは言えません。こうした状況で、カプコンは本気でモンハンを世界で売ろうと決意します。そうして立ち上がったのが、「ワールド」プロジェクトでした。
MHWで世界に羽ばたく!

辻本Pの下、藤岡Dチームと一瀬Dチームの2ラインで開発が進められてきたモンハンシリーズですが、ここで4人目の重要人物である徳田優也(とくだゆうや)氏について触れたいと思います。徳田氏は初代MHのPVに魅せられ、同作が発売された2004年にカプコンに入社。翌年にリリースされたMHGからプランナーとしてモンハン各作品の制作に関わっており、MH3G以降はメインプランナーとして徐々に大きな仕事を任されるようになっていきました。徳田氏のモンハンに対する情熱は凄まじく、ディレクターとして作品を任せてほしいと兼ねてより辻本Pに直談判していたそうですが、これまでの成果が認められてようやくMH4の次の作品にてディレクターを任されることが決まりました(藤岡氏はエグゼクティブ・ディレクターに昇任しシリーズを統括する立場に移行)。
プロジェクト名「ワールド」と名付けられた徳田Dのデビュー作は、本気で海外市場に打って出る意欲作として企画されました。徳田Dがまず行ったのは徹底したリサーチ。それまでモンハンチームに上がっていた海外評判はシリーズファンによる好評の声がほとんどでしたが、次作では一切モンハンを触ったことのない人たちにアプローチしていかねばなりません。そこでMH4のユーザーテスト会を実施し、ひいき目のない生の声を収集しました。結果は「スローテンポ」・「カメラがひどい」・「ダメージが通っているか分からない」という散々なもので、徳田Dは一時的に体調崩してしまうほどのダメージを負ったと言います。しかしこれにめげずに、徳田Dはモンハンを一から再構成することを決意。アクションゲームのグローバルスタンダードを研究し、動きを止めない武器の出し入れ・ターゲットカメラ・ボイスチュートリアルといった改善を次々に実現させていきました。
中でも大きかったのは敵モンスターへ与えたダメージ表記でした。ユーザーアンケートでは「敵モンスターの体力ゲージを出してほしい」という声が大きかったのですが、そこまで大幅な仕様変更をしてしまうと既存ファンが離れてしまうリスクがありました。そこでこの声が本当に求めているのは何かと分析したところ、実は「自分の攻撃が正解か分からない」というストレスを無くしてほしいと言っているのだと分かりました。そこからは、モンハンの世界観を壊さないバランスで新規層・既存ファンを両獲りできる手立てを探っていき、ダメージ表記の実装に至ったそうです。
また、このダメージ表記はモンスター同士の「縄張り争い」という新しい要素との親和性も高かったと言います。前作MH4がニンテンドー3DSという携帯機での展開だったのに対し、本作はPS4という久々の据置機タイトルでの展開(WiiでリリースされたMH3以来|ただしMHP3はPS3移植有り)。ハード性能の向上を活かしてモンスターの生態系をよりリアルに描くという目標が掲げられ、その目玉としてモンスター同士がプレイヤーそっちのけで「縄張り争い」し始めるという新要素が考案されました。しかしこの縄張り争い、自然発生することもありますが、狙って発生させるにはモンスターの誘導が必要で非常に手間でした。せっかくの新要素も、手間に対するリターンが分かりにくければ遊んでもらえません。そこにちょうど良く刺さったのがダメージ表記で、プレイヤーによる攻撃が数10程度なのに対し、縄張り争いでは一気に1000以上ものダメージが入るとあって、爽快感抜群。クエスト攻略において縄張り争いが積極活用されるようになりました。
その他にも、圧倒的に広くなったフィールドやロード排除によるシームレス探索といった様々な施策が打たれた本作は、『モンスターハンター:ワールド』(MHW)というタイトルで2018年1月(MHXXから1年後)にリリースされました。これまでは日本先行発売、海外後発という販売形態を取っていましたが、今作からは海外売上比率の伸長を目指して全世界同時での発売を実現。さらに、モンハンをプレイしたことのない層へのアプローチを強めるため、タイトル名からナンバリングも排除しました。しかし本作が実質MH5であるというのは藤岡氏も認めており、これまでのナンバリング作のロゴには数字の数だけの竜が描かれていましたが、MHWでは5体の竜が描かれました。本作は3日で全世界500万本ものセールスを記録するというロケットスタートに成功しましたが、そのうち7割は海外売上だったそうです。まさに狙い通り、真のグローバルタイトルへの仲間入りを果たしました。ちなみに2025年現在の売上は2090万本にまで伸びており、MHWはカプコンの長い歴史上で最も売れたタイトルとなりました。
徳田DはMHWリリース後も無料アップデートのコンテンツに邁進していましたが、その裏ではMHXXのディレクターを務めた市橋DがMHWのG級相当作『モンスターハンターワールド:アイスボーン』(MHWI)の開発を進めていました。海外の新規層を意識して、今までGを冠する作品で登場していたG級クエスト(高難易度クエスト)は、MHWIではマスターランクと改称されました。時代の潮流に合わせ有料DLCでの販売となった本作は、MHWから1年半後の2019年9月にリリースされました(ちなみに市橋DはMHWIを最後にカプコン退社)。
据置機によるハイエンドなMHWがヒットする中、一瀬DはかつてのMHP2Gのようにオフラインで仲間が集まってワイワイ楽しめるモンハンをもう一度作ろうとしました。MHXリリース後、MHXXの開発を市橋Dに任せてチームを離脱した一瀬Dは、さっそく新しい遊びを模索し始めました。当時はまだSwitch開発機すら存在しなかったため技術検証に苦労したそうですが、昨今の快適性重視のアクションゲームの潮流に合わせ、ワイヤーアクションを新たに考案。モンハンらしく生き物に関連したアクションに落とし込むこととなり、ワイヤーではなく翔蟲(かけりむし)アクションと命名されました。また、オトモアイルーに続く相棒キャラとしてオトモガルクが新登場。ガルクに跨っての高速移動が可能となり、移動時のストレスが劇的に軽減されました。これらの新要素を携えた『モンスターハンターライズ』(MHR)は、MHWIから1年半後の2021年3月にリリースされました。開発終盤にコロナ禍が重なったことから開発が難航し、発売当初はコンテンツ量の少なさを揶揄された時期もありましたが、アップデート共に評判は改善していきました。また本作においてもG級相当作は開発され、『モンスターハンターライズ:サンブレイク』(MHRS)というタイトルで2022年6月(MHRから1年後)に有料DLCとしてリリースされました。MHRが和風モチーフの作品だったのに対し、MHRSでは一転して洋風モチーフの世界観が描かれました。ちなみにディレクターは一瀬氏ではなく、新たに鈴木Dが担当。
そして迫る2025年2月28日にはシリーズ最新作にして、実質MH6となる(ロゴに竜が6体描かれている)『モンスターハンターワイルズ』(MHWs)が発売されます。ディレクターはMHWに続き徳田Dが担当。本作では、モンハンシリーズとして初めてPCを含む現行世代機全てでの同時発売がなされます。更には異なるプラットフォーム間をつないだマルチプレイも可能となり、再びの世界市場席巻が期待されています。
参考文献
興味ある方は折りたたみを展開ください。
https://www.goo.ne.jp/green/column/walkerplus_1200295.html
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