【完全解説】ゲームにおける表現規制の元凶「CERO規制」20年の歴史

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【ゲーム会社史】そのゲームを作ったのはというyoutubeチャンネル様に、【完全解説】ゲームにおける表現規制の元凶「CERO規制」20年の歴史という動画の台本を提供しました。

この記事は、その台本の ( 初稿の ) ベタ貼り記事です。文字情報でザザっと追いたい方用です。

実際の動画では投稿主様の方で一部内容修正されているので、動画にはない情報も含みます。補完関係になっているので、流し読みでも構わないのでご覧いただけたらと思います ( 特にCEROの課題は結構違います ) 。

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はじまり

みなさんはCEROをご存じでしょうか。ゲームパッケージの背表紙にある、このマークがCEROです。そのゲームの対象年齢が何歳以上か、というレーティングを表しています。このCEROですが、ゲーマーからの評判はあまり良くありません。かくいう私も「CEROのせいで海外のゲームが発売禁止になったと聞いたことがある。何となく気に入らない。」と思っていました。しかし今回動画制作にあたってCEROの歴史を調べてみたところ、色々と考えさせられました。今の時代に合った、全員にとってwin-winな、新しいCEROのスタンスが絶対にあるはずだと思いました。そんな議論の呼び水になれることを願って、CEROの歴史の解説、始めていきます。

CEROの歴史はすなわち、「コンシューマーゲーム」と「表現の自由」の歴史になります。ゲームに限らず、映画やマンガなど、あらゆる創作物には表現の自由というものが保証されています。日本国憲法で定められた基本的人権のうちの一つです。そうまで言われると絶対不可侵のルールのように思われますが、他人の人権を侵害する恐れがある場合には、規制の対象とすべきか議論になります。

例えばここに幼稚園の女の子がいたとします。魔法少女モノのアニメが好きで、今日も新しいアニメを見始めました。可愛らしい主人公たちを応援していたのですが、話が進むうちに雰囲気がダークになっていって、ついに仲間キャラが魔女に食べられてしまいました…。これはその子にとってトラウマになるかもしれません。先ほど他人の人権が侵害されてしまうと言いましたが、この例はコンテンツ消費者の人権が侵害されてしまうパターンですね。そのアニメを見せる・見せない、を保護者が適切にコントロールすれば何も問題ありません。

人権侵害のパターンはもう一つあります。例えば銃乱射のシーンを含むゲームがあったとして、そのシーンがことさら賛美的に描かれていたとします。そのシーンに感銘を受けた高校生が、現実の世界で銃乱射事件を起こしてしまう…。もしそんなことが現実に起こったら大問題ですよね。この例は、コンテンツ消費者を介して、社会に住まう私たちの人権が侵害されるパターンです。

しかしこの2つ目のパターン…、果たしてそんなことって現実にあり得るのでしょうか。仮にそんな凶悪犯罪者がいたとして、その人がゲームをやっていようがやっていまいが、どちらにしても犯罪を起こしそうな気がします。事件とゲームは関係ない、そう考える人が今の時代だと多そうです。しかしCEROが立ち上がったほんの20年くらい前までは、そう考えない人の割合がすごく多かったんですね。

さて前置きが長くなってしまいましたが、歴史の解説に入っていきます。CERO設立当時の世相を理解するために、戦時下から順に時代を追っていこうと思います。当時の日本では政府による表現規制がガッツリ敷かれており、例えば映画は全作品公開前に検閲され、キスシーンなどは完全NGだったと言われています。しかしそんな厳しい検閲も、戦争が終わると日本国憲法により禁止になり、大衆文化が広がっていきました。そうした流れの中で成長していった新しい娯楽コンテンツがマンガです。中でも、手塚治虫(てづかおさむ)作品は子どもを中心に一気に人気が広がっていきました。しかしそれと同時に、大人による悪書追放運動という動きも過熱していき、大規模なマンガバッシングへとつながっていきます。1955年には、鉄腕アトムなどのマンガが学校校庭で燃やされる(焚書・ふんしょ)というショッキングな事件にまで発展しました。PTAが一緒になってその活動を推進していたと言いますから、現代の我々からすると唖然とするような価値観の違いです。世の中の価値観は時代時代で移り変わっていく、というのがよく実感できるエピソードです。

マンガの例と同じように、ゲームに対しても表現規制を求める声が大きくなっていった時期があります。1988-1989年には幼女連続誘拐○人事件が発生し、その犯人の趣味がきっかけでオタクバッシングが過熱しました。オタク文化そのものに対して厳しい目が向けられていた矢先の1991年、『沙織事件』が起こります。『沙織事件』とは、当時の男子中学生が『沙織 -美少女達の館-』というアダルトゲームを万引きしたことをきっかけに、そのゲームを制作したゲームメーカーの社長らがわいせつ物販売目的所持罪で逮捕された事件です。本来であれば男子中学生が処分を受けてそれで終わるはずであったのに、オタク文化に対する世間の目が特に厳しい時期だったことが災いして、大きな事件に発展しました。それまでアダルトゲームメーカー各社はそれぞれの判断で自主規制しながらソフトを販売していましたが、当時は統一の規制基準がなく、無修正のアダルトゲームも多く販売されていました。『沙織』も無修正であったことから業界全体が対応に追われることになり。翌年1992年には各社の協力によってコンピュータソフトウェア倫理機構、通称:ソフ倫が立ち上がりました。ソフ倫は平たく言えばCEROのアダルトゲーム版です。CEROは2002年設立ですから、ソフ倫はCEROより10年先行していたことになります。

CERO設立

ここからはCERO発足に直接つながる歴史になります。後にCEROを設立するCESA(セサ|Computer Entertainment Supplier’s Association)という団体の設立が1995年頃から企画されていました。当時のセガ社長・中山隼雄(なかやまはやお)氏がコーエーの襟川恵子(えりかわけいこ)氏に会長を打診しましたが、襟川氏は多忙を理由に辞退(後に理事として参画)。その後話が具体化していき、最終的にコナミ社長・上月景正(こうづきかげまさ)氏がCESA会長を、カプコン社長・辻本憲三(つじもとけんぞう)氏、エニックス社長・福嶋康博(ふくしまやすひろ)氏、スクウェア社長・小林宏(こばやしひろし)氏の3名がCESA副会長を務めることになりました。今名前を挙げた方々は、現代の私たちからしても豪華すぎる日本のオールスターですよね。そんな業界肝煎りのCESAが1995年末に正式発足します。記者会見では、CESAの目的は「各メーカーが話し合える場を作り相互交流を図ること」、また「業界の健全な発展を目指して様々な事業を展開していくこと」だと説明されました。その宣言通り、翌年1996年にはCESA主催の第1回・東京ゲームショウが開催。コンシューマーゲームのアピールの場として企画され、一般ユーザー開放日を設けるという施策が好評を博し、今では一大イベントとしてゲーマーに広く認知されています。そんな東京ゲームショウと並ぶ、CESAの大きな仕事がCERO設立でした。

CESAが発足当時から構想していたのは、東京ゲームショウと、ゲームの新しい倫理規定の制定であって、CEROを設立することは元々考えていませんでした。CESAは昨今の急激なゲームグラフィック向上により性描写・暴力描写のリアリティが増すことに対して、新たな手当が必要だと考えていました。当時のゲーム業界ではハードメーカーがそれぞれに倫理規定を定めていたのですが、これに被せる形でCESAは新しい倫理規定を定めようとしたわけです。なお当時のCESAにはハード老舗の任天堂は参画していませんでしたが、任天堂のライバルのセガとハード新興のソニーは参画していました。現行のルール・枠組みを変えるのは一筋縄ではいかないことは承知の上で、CESAは丸1年かけて練りに練った倫理規定を策定し、施行しました。各社の都合を一切無視すれば、この時点で業界全体がCESAの新しい倫理規定へシフトするのが合理的だったでしょう。しかしハードメーカーのみならず、今までのやり方を変えたくない一部のソフトメーカーも移行に反対し、足並みは揃いませんでした。そうしてしばらくの間、各ハードメーカーの倫理規定と、CESAの新しい倫理規定が混在するカオスな時期が続きました。

そんないつまで続くか分からない膠着状態に一石を投じたのは、皮肉にもゲームに否定的な世論でした。1997年には神戸連続児童○傷事件、2000年には西鉄バスジャック事件が起こり、ただでさえショッキングな事件でしたが、いずれの犯人も年若い14歳・17歳の少年だったこともあって、世の中はさらに騒然としました。あまりに凄惨な事件にマスコミの報道はヒートアップし、やがてゲームは青少年に悪影響を与えるという論調が強まっていきました。この状況をさらに悪化させたのが2002年に出版された『ゲーム脳の恐怖』という書籍でした。ゲームは脳に悪影響を与えると論じたこの本が正しいか・間違っているかという議論に関しては諸説あり、学術的なアレコレはこの動画では触れません。しかしこの本がゲーム否定派にとって渡りに船の「武器」となったのは、ゲーム史における事実です。ゲームを巡る世論がさらにネガティブな方向へ流れていく危機的な状況の中、ゲーム業界は世間が納得する施策を打ち、業界としての姿勢を示す必要に迫られました。やがてCESAの新しい倫理規定に否定的だったメーカーたちも徐々に態度を変えていき、最終的にゲームの対象年齢を評価するレーティング制度の導入が決まりました。パッケージソフトは全数検査するという方針が定まったのですが、その分量はCESAではとてもこなせないという判断となり、新たな専任機関の立ち上げが決定。その機関こそがCERO、コンピュータエンターテインメントレーティング機構でした。

2002年に発足されたCEROですが、当時のCESA会長はコナミの上月社長から、カプコンの辻本社長に既に変わっていました。CESA会長の辻本氏、そしてコンピューターの黎明期から活躍されてきたスペシャリスト・CESA専務理事の渡邊和也(わたなべかずや)氏の2名が、業界外選出としてCESA理事を務めていた武藤春光(むとうしゅんこう)弁護士にCERO理事長を依頼し、結果3名連名でCEROは設立されました。設立当初のCEROの体制は、依頼を引き受けた武藤弁護士がCERO理事長、辻本氏・渡邊氏ら5名がCERO理事、という構成でした。辻本氏のことはご存じのゲーマーも多いかと思いますが、渡邊氏と武藤弁護士のことは知らない方がほとんどかと思います。CEROの活動に関して受け答えする渡邊氏・武藤弁護士のインタビュー記事は今でもネット上でアクセスできますが、両名は使命感を持ってCERO設立に尽力し、本気でゲーム業界に貢献しようとしていらっしゃったのだと、あくまで個人の感想ではありますが、そう思いました。しかし残念ながら、両名は既にCEROを退任されています。その後もゲームメディアによるCEROへのインタビューは定期的に敢行されていますが、いずれも事務局によるメールインタビューのみ。やり取りも事務的で、設立から20年経ってCEROの雰囲気は変わってきているように感じられました。

レーティング区分見直し

こうして2002年に設立されたCEROでしたが、すぐに転機のときが訪れます。きっかけになったのは『Grand Theft Auto Ⅲ』。この作品は本国アメリカでも物議をかもしたので、先にそちらの内容に触れようと思います。Grand Theft Auto(直訳:自動車重窃盗)は、そのタイトルの通り街往く市民を殴り飛ばして自動車を奪って逃走できる、というやりたい放題が楽しめるゲームで、全世界で絶大な人気を博しています。過激なゲーム性が取りざたされることもありますが、今ではすっかり市民権を得ています。そんなグラセフですが、当時はまだシリーズとしての評価が完全には定まっておらず、○人事件との関連性が取りざたされました。事件が起こったのはグラセフ3発売から2年経った2003年。アメリカ・テネシー州で14歳・16歳の兄弟が高速道路を走る車に向かってショットガンを放つ○人事件が起こってしまいます。グラセフに影響されて道行く車を撃ってみたかったという兄弟の言葉を信じた両親はグラセフを作ったRockstar Gamesを訴えましたが、裁判では訴状を認められず、結局二審へは進まず訴訟取り下げとなりました。この動画の冒頭で話した、ゲームに影響された高校生が銃乱射事件を起こしたらどうなる、という例えには実は回答があったんですね。あくまでグラセフに対するアメリカの判決例であって、どんな時もそうであるとは限りませんが、ゲームに責任は無い、と判断されています。

さて、そんなグラセフ3ですが、ローカライズ(翻訳)作業に時間を要したものの、本国での発売から2年後の2003年には日本でも発売されました(ちなみに発売日はアメリカの事件が起こった数カ月後でした)。CEROによるレーティングは18歳以上推奨。CEROとしてはレーティングを与えない(CEROとしてそのゲームの流通を認めない)という対応も取れるのですが、そうしなかったということは、CEROはグラセフ3を「有害」ではないと判断したことになります。にもかかわらず2年後の2005年に突然、神奈川県知事によって有害図書に指定されてしまいます。その諮問の審議時間はわずか10分だったそうで、日本向けのパブリッシャーを担当したカプコンは「指定要件・基準が明確ではない、単なる印象・好悪による判断は無効ではないか」と抗議したそうです。しかし抗議の甲斐なく、有害図書指定の流れは他の都道府県にも広がっていきます。

この事態を受けてCEROはこれまで運用してきたレーティングを見直します。新しいレーティングでは従来の「18歳以上対象」を、新たに「D(17歳以上対象)」と「Z(18歳以上のみ対象)」へ細分化しました。Z区分となった作品に関しては「販売時の年齢確認を徹底すること」・「目立たない棚に隔離すること」が各店舗へ申し送られるようになり、それと同時に条例による有害図書への指定もセットで行われる、という新しい仕組みが出来上がりました。それまでのCEROはあくまで対象年齢という客観情報を消費者に提供するのみでしたが、新しいレーティングのZ区分が導入されたことにより、それらが18歳未満の手に渡らないようにすることもCEROの仕事になりました。ちなみにこの一連の動きの裏には、グラセフの日本営業権を獲得したカプコンが何とか日本でもグラセフを売ろうとした商売っ気が影響していたと、元カプコン・岡本吉起氏が自身のyoutubeチャンネルで語っています。業界全体のためという大義名分の中に、目先の自社利益もこっそり仕込んでおくというのはしたたかですね。

CEROのシステム

さて、CEROの区分の話が出ましたので、ここでCEROのシステムについて解説しようと思います。主に設立当初に公開されたレポートを参照してまとめましたので、今では一部異なる部分があるかもしれない点はご承知おきください。

まずレーティングの区分について。これは先ほど説明したグラセフ3の件が契機となって、「全年齢対象」のA区分、「12才以上対象」のB区分、「15才以上対象」のC区分、「17才以上対象」のD区分、「18才以上のみ対象」のZ区分の全5分類に更新されました。なお、これらの区分に加えて「審査予定」・「教育・データベース」というものもあります。

続いて、誰が・どうやって審査しているか。「誰が」については、CEROが準備したトレーニングをクリアして審査員になった一般の方、になります。「どうやって」については、ゲームメーカーより提出されたゲーム内容のまとめ映像に問題が無いかを審査員3名がそれぞれバラバラにチェックして審査、になります。3名のチェック結果が全一致しているのが理想ですが、ズレがある場合にはすり合わせが入るそうです。審査にあたっては、あくまでCERO倫理規定に則って客観的に判定するのが大前提とのこと。審査員が客観判定しやすいように、例えばキスシーンで言うと「子供向けのアニメでも見られるような可愛らしいキス」・「音が出るキス」・「舌を絡めるキス」といったような段階を設けているそうです。キスを含む約30の項目について、各レーティングに応じた6段階の表現を設定し、それらの掛け算である約180セルからなるマトリクスを用いて審査は実施されるとのこと。ちなみにゲーム業界の関係者は、特定のゲームに有利・不利なレーティングをする可能性をぬぐえないため審査員になれません。

続いて、審査員になるためのトレーニングとはどんなものか、について説明します。審査員に応募した方は、まずCEROと秘密保持契約を結ぶことになります。その後、CERO倫理規定の座学からトレーニングは始まります。座学の後、既に発売されている作品の映像を用いたトレーニング用動画を、難易度を徐々に上げながら4~6本程度審査します。その4~6本の答え合わせを面接にて実施し、誤判定してしまった箇所の読み合わせと修正を行います。必要に応じてここまでのトレーニングサイクルを再度回しながら、一定の審査理解力・適応力があると判断された時点で審査員見習いになれるそうです。その後は実際の製品審査に入っていきますが、最初5回分は2重チェックでのフォローが入るとのことです。6回目以降、かつ、ひとり立ち可能と判断されれば、晴れて審査員マスターになれる、という仕組みとのこと。どんな方が審査員かと言うと、2023年のインタビュー記事によると20~60代までの男女数十名が審査員として活躍されていて、多くの方が審査員歴10年以上、とされています。審査員にはアルバイト代程度の謝礼が支払われるとのことです。

以上が、CEROによる審査の概要です。ここからはCEROの課題について考えてみたいと思います。あくまで私見ではありますが、議論の呼び水になれば幸いです。

CEROの課題

大きな課題が2つあると考えています。1つ目はコスト。2つ目は透明性。

まずコストについて。先ほど述べた審査方法は完全に人手対応であるため、コストがかかります。審査の品質は審査員技量に大きく依存してしまっていますが、その審査員の育成にもコストがかかります。審査員の多くが歴10年以上と言うのは、一見定着率が高くベテランによる安定した審査ができるというメリットもありますが、コスト都合でそうせざるを得ないのでは、と想像してしまいます。またいくら客観判定するとはいえ、審査員・職員・理事らが常に固定されていて外部の目も及ばないとなると、組織の健全性が低下していくリスクがあります。企業であれば株主らの監視のもとで常に成長を目指す必要がありますが、CEROは特定非営利活動法人であるため現状維持で構わないという事情もあるかもしれません。CEROの運営費はメーカー各社による審査料などで賄われています。CEROのために審査用の動画を作成し、審査手続きをし、審査料まで払って、メーカーは少なくないコストをかけています。そしてそうした支出は、ゲームソフトの価格に反映されて、最終的には消費者の負担にもなっています。このコスト課題の改善案に関しては、のちほど海外事例を参考に考えてみたいと思います。

もう一つの課題、透明性について。CERO倫理規定は公開されていますが、審査基準のマトリクスは公開されておらず、一つ一つの作品の審査結果も非開示です。審査結果を毎度レポートにしていたのではコストがかかるという事情も分かりますが、メーカーからの請求に応じてレポート作成を受け付けると言った透明性の向上は必要ではないでしょうか。CEROからのフィードバックが無ければ、メーカーとして今後よりスムーズな審査通過を目指そうにも難しいです。CERO設立当時と比べて、世間のゲームへの風当たりは明確に弱まっています。一方で、多様性に対する考え方が重要視されるなど、世間の価値観は常に流動的です。CEROも時代に応じた変化が必要で、そのために倫理規定を頻繁に改定しているのも存じていますが、よりオープンな議論が無いと私たち消費者(とおそらくメーカー)はCEROを信頼しきれません。透明性の向上は必須ではないでしょうか。

ここからはCEROの透明性が取りざたされた事例を取り上げながら説明したいと思います。2017年にNintendo Switch向けのタイトルとして発売された『スーパーマリオ オデッセイ』はCERO『B(12才以上対象)』とレーティングされ、マリオシリーズで初めて全年齢対象から外れてしまった作品として話題になりました。B区分以上の場合、どういった描写が含まれるのかというアイコンもパッケージ上に併記されるのですが、マリオデの場合は暴力アイコンと犯罪アイコンが併記されました。マリオデはステージデザインが他作品と比べて独特で、ニュードンクシティというステージではニューヨークをモチーフとしたビル群を等身大の人間が歩いているというステージでした。いつものマリオと比べるとリアル調です。そうしたステージで人間に攻撃したり、車に乗ったり、ビルから飛び降りたり…、そういった描写がB区分の原因になったのではと言われています。任天堂としては全年齢向けとして作ったマリオでしょうから、B区分になって幼い子供を持つ大人による買い控えが起こるとなると、辛いところでしょう。CEROがもっとオープンであれば、ニュードンクシティのデザインも違ったものになっていたかもしれません。

この事例はコスト課題の話にもつながります。先ほどマリオデがB区分となると買い控えが起こるかもしれないと言いましたが、実際そんなこと起こりえるでしょうか。別タイトルの『Fortnite』はCERO『C(15才以上対象)』で暴力アイコンが併記されていましたが、小学生に大人気でした。CEROは暴力要素に注意と言いますが、協力プレイによる人間関係の不和の方が、小学生にとってはトラブルになりがちではないでしょうか。結局は、子供一人ひとりの性格・状況に応じた、保護者の適切なコントロールが何よりも大事でしょう。その材料としてCERO区分も有用でしょうが、CERO設立から20年経った今ではスマホで何でも簡単に調べられます。Switchには保護者による『みまもり設定』があり、PlayStationにも同様の『ペアレンタルコントロール』機能があります。CERO本来の目的に立ち返ったときに、費用対効果で考えてZ区分以外の分類にどこまで力を入れるのか。時代変化に合わせて手抜くところは手抜き、代わりに現状の人手に頼った審査方法の改革に予算を回すなど、より柔軟性があっても良いのでは。何よりそうしたオープンな議論をもっと募るべきでは、と勝手ながら思ってしまいます。

メーカーにとって一番困るのは、CEROのZ区分すら与えられず日本でのパッケージ販売が困難になること、あるいはD区分狙いだったのにZ区分になってしまうこと。そしてそうした理由による作り直し、再審査手続き、だと思われます。そうした事態になると、とにかくコストがかかります。特に海外のゲームは元々CEROとは異なる海外の倫理基準を重視して作られていることが多く、CERO審査に手こずりがちです。またそのゲームにとって信条の表現がCEROに引っかかってしまうと、ゲームとして不完全版になってしまいます。2022年の『The Callisto Protocol』と2023年のリメイク版『Dead Space』は、まさにこうした理由で日本未発売となってしまいました。問題となったのは人体の欠損表現と言われています。CERO設立当時、まだ記憶に新しかった凶悪事件を想起させるものとして制定された欠損表現基準が、現代になってグローバルの基準と乖離してきています。そうした乖離を、日本特有の性質として維持すべきか、時代経過とともに緩和すべきか、こうした議論もオープンにしていくべきではないでしょうか。

一般的に、日本は外国と比べて性表現に対して寛容であることが多く、逆にグロ表現に関しては厳しいことが多いとされています。日本におけるゲームの表現規制の議論は『沙織』がきっかけ、つまり性表現がきっかけだったのに、今では比較的性表現に寛容な国であると言われているのは面白い構図です。アメリカにおいて始めてゲームの表現規制が大きく取りざたされたのは、1992年の『Mortal Kombat』が最初だったとされています。残虐描写をウリとした対戦格闘ゲームシリーズで、KOすると相手を惨○するトドメ演出がユーザーの好評を博しました。しかし同時に問題視もされ、CEROのアメリカ版であるESRB(Entertainment Software Rating Board)設立のきっかけの一つになりました。現代において日本よりもグロ表現に寛容なアメリカにおいて、最初に論争になったのはグロ表現だったというのは、これまた面白い構図です。

海外レーティングの中で特に重要なのが、2013年に設立されたIARC(International Age Rating Coalition)です。2010年頃からゲームのデジタル配信が一般的になっていき、それと同時に市場投入されるタイトルも爆発的に増えました。従来のレーティングでは立ち行かなくなったことから、北米・EUなど複数のレーティング機関が連携して設立した国際レーティング機関がIARCです。パッケージ作品は対象外とし、デジタル配信のタイトルのみを対象としています。先ほど述べたアメリカのESRBなどはIARCに加盟していますが、CEROはIARC基準が日本にマッチしていないとして加盟していません。IARCの最大の特徴は、審査料金が無料であること。人手が介在しない自動的な機械判定により省コストを実現しています。ゲーム開発者が、IARCが用意した質問に回答することにより自動でレーティング付与される仕組みになっており、日本においてもニンテンドーeショップやPlayStation Storeなどで導入されています。パッケージ版の場合は実店舗が消費者への販売責任を負うことになり、店舗目線で言うと自分の身を守るためにCERO合格品のみを商品として扱っているのですが、デジタル配信となると各プラットフォーマー自身が販売責任を負うことになります。任天堂もソニーも、当初はCEROをパスしたもののみをストアで取り扱っていたのですが、それぞれ2020年・2022年に方針を転換してIARCパス作品も取り扱うようになりました。

IARCがパッケージ作品を対象外としている理由は、自動レーティングのためリリース後にゲーム内容の修正が必要になることがよくあるが、パッケージ版だとその修正コストが高く付くため、だそうです。つまり、パッケージ版はより慎重な審査が求められているとも言え、CEROはそこに注力するとインタビューにて回答しています。しかしグローバル全体の動向としては、各国のレーティング機関はIARCに加入する流れができています。CEROがIARCに加入しない理由は、IARCが設けている質問項目が、日本向けに作り込んだCEROの基準と合致していないためです。しかし、私たち一般ユーザーからするとIARCの方がコスト面でも、透明性の面でも、好印象を抱く方が多そうです。ここまで何度も申し上げてきましたが、やはりオープンな議論が必要ではないでしょうか。その結論が加入する・しないのいずれであっても、オープンな議論の末であれば、みなが納得できるはずです。

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